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第3章  生まれ変わったら美少女になっていた!

 

 

 

「プロットは書いてきた?」

 翌日の部活動のときに、伊勢原先輩から開口一番そんなことを言われて驚いた。

 まさか昨日の自作小説のことを気にかけてくれているなんて、夢にも思っていなかったから。

 今日も昨日と同じく新入生歓迎パーティー的な催しが行われていたけど、結局文芸部室を訪れたのは昨日と同じ三人だけで、それっきりほかに新しい新入生が顔を見せることはなかった。

「いえ、まだです」

「そう」

 答えると、先輩はどこか残念そうに眉をひそめた。

「まあ、小説を書くうえで絶対必要なものじゃないから、書きたくなければ書かなくてもいいんだけど、今のうちに書く練習をしといたほうが……。ホラ、あらすじとか、最後どうなるのかとか、まとめといたほうが話もブレないし」

「美優奈」

 不意に泉が横から口を挟んだ。

「そんなの強制することじゃない。言ってることおかしいぞ」

 すると伊勢原先輩は、急にギリッと眼を尖らせて泉を睨みつけた。

 それはおそらく、校内で呼び捨て&タメ口をきかれたことを怒っているわけではなさそうだった。

 もしそうなら、その場で注意しているはずだ。先輩は、もっと他のことについて、泉に憤りを覚えたのだ。

 それが何なのか僕にはわからなかったけど。

「そうだよ、美優奈」

 副部長の川辺さんも泉に同意する。「プロットはないほうが書きやすいって人もいるし、強制するのはあんまりよくないんじゃないかな」

「……そうだね」

 伊勢原先輩は何か諦めたように小さくため息をつき、それまで睨んでいた泉のほうから視線を逸らせて僕に向き直った。

「適当なこと言っちゃった。ごめんね、相澤くん」

「い、いえ」

 先輩は少なくとも僕のために助言をしてくれたのだ。謝られるいわれはないし、むしろ昨日先輩から言われていたにもかかわらず、プロットを準備してこなかった僕のほうが悪い。

 まあでも、昨日は精神状態があまりよくなかったから、やれと言われてもできなかっただろうけど。

 それにしても、同級生の川辺先輩はともかく、いちいち口応えしようとする泉はどうかしてるとしか思えない。

「でも、完結だけはちゃんとさせてね」

 伊勢原先輩は、いまだ少し不満そうな口ぶりで、最後にそう言い足した。

 

                               ☆

 

 結局、新入生も来なかったので、部活は昨日よりも早い時間に終わった。一年生同士の雑談もそこそこに切り上げ、僕はまた泉と玄関に向かう。

 校門へと続く道を歩きながら携帯のメールをぽちぽちとやっていた泉が、ふと顔を上げてこう言った。

「呼び出しだ」

「呼び出し? ……誰から」

「美優奈から」

 面倒くさそうにそう言って携帯をポケットにしまいこむ。

「伊勢原先輩……? それって、泉だけ?」

「いや、むしろおまえだけ。おまえを連れてこいって美優奈から俺にお達しがきた」

 伊勢原先輩が、僕に呼び出し? 何だろう、いったいどういうことだろう。

「別に断ってもいいんだぞ」

 泉が睨むようにそう言う。僕はぶんぶんと力強くかぶりを振った。

 

 僕たちが呼び出されたのは、校門を出てからしばらく行ったところにある小さな公園だった。

 駅のほうへと続く通学路からは少し外れた場所にあるので、この時間になると人影もなく、少なくとも同じ学校の生徒に見つかる心配はない。

 それはつまり、誰かに見られたくない――聞かれたくない何かの事情があるということなわけで……。

 僕たちがそこへ向かうと、伊勢原先輩は隅のベンチに腰かけていた。

 そしてその隣に僕の知らない男子生徒が一人立っていた。

 それはおそらく昨日伊勢原先輩と仲良さげに話していた、泉のお兄さん――平林勇太さんだった。

 かなり背が高く、顔立ちも大人びていて格好いい。

 顔つきは少し厳しいけど、飄々とした風采の泉とは対照的に、落ち着いていてしっかりした感じの人だった。

 伊勢原先輩は僕たちの姿を認めると、ベンチから立ち上がって手を振ってきた。律儀な人だ。

「呼びつけたりしてごめん」

 先輩は神妙な顔つきでそう言って、再びベンチに腰を下ろす。先輩の隣は空いているけど、勇太さんは座ろうとはしなかった。

「座る?」

「いえ」

 僕は慌ててかぶりを振る。三年生の先輩を差し置いて椅子に――それも伊勢原先輩の隣に腰かけるなんて、畏れ多くてとてもできない。

「遠慮しなくていいよ」

 不意に勇太さんが口を開いた。「話したいことがあるそうだ」

 上級生二人から勧められてしまっては、もはや許可というより強制と言って差し支えない。

 こういう場合はかたくなに拒絶してしまうとかえって心象を悪くしかねないので、僕はおずおずと伊勢原先輩の隣に――なるべく大きな隙間を空けて、腰を下ろした。それを見て伊勢原先輩はふっと表情を和らげる。しかし目は笑っていなかった。

「相澤くんに訊きたいことがあるの」

 先輩がぽつりと呟くように、しかしどこか力のこもった声で言った。

「訊きたいこと……ですか」

「そう。きみが今書いてるあの小説のこと」

「…………」

 驚きはしなかった。先輩は何やら僕のあの小説のことを異様なほど気にしている。

 というか、そもそも先輩が僕に尋ねたいことと言ったら、ほかに心当たりがない。

 でも、いったいどうして? あんな素人の書いた駄文のどこに、先輩がそんなに気にかける理由があるのだろう。

「あの話、自分で考えて書いたの?」

「……はい」

 僕はうなずく。昨日、泉にも同じことを言われた。もしかして、僕が本当にどこかから話をパクってきたと疑っているのだろうか。

 ひょっとして、それが密かに大問題になってたりして?

 いや、そんなはずはないな。僕はすぐさま思い直してかぶりを振った。

 あれは小説といっても、まだ第一章しか書けていない状態だし、いくら既存の作品と内容がかぶっていたからといって、今の段階でそれが問題になるとは、まずもって考えにくい。

「盗作を疑ってるわけじゃないよ」

 伊勢原先輩は、念を押すようにはっきりとそう言った。

「ただ、あまりにも……」

 ――あまりにも?

 あまりにも、何だろう。それに続く言葉を、伊勢原先輩はついに継がなかった。

 何か意味ありげな感じだけど、言いにくいことなのだろうか。こういう場合は、はっきり言ってくれたほうがいいんだけどな。

 ――盗作を疑っているわけじゃない。

 先輩はそう言った。

 それならどうして「自分で考えて書いたのか」なんて聞くのか。

 自分で考えたのではないと疑っているから、そういう問いかけが出てくるんじゃないのか。

「それが、訊きたかったことですか?」

 僕は尋ねた。その程度のことなら、わざわざ人目のつかない公園に呼び出したりしないで、部室で雑談をしているときにでも訊けばいい。現に泉は、原稿に目を通したその場で聞いてきた。それでも問題はなかったはずだ。

「いや、訊きたいことは、もっと他にあるんだけど……」

 いつしか先輩はまるで決意を新たにしたように、それまで伏し目がちだった視線を上げて、あろうことか厳しく追及するような鋭い瞳で、僕を睨んでいた。

 そして尋ねられた第二の質問。

「あの小説の主人公って、モデルになった人とかいるの?」

 僕は困惑してしまう。なぜならそこは、自分でも意識していなかった範疇だからだ。

 主人公の男子高校生にモデルがいるかと聞かれれば、特に考えずに書き出したと答えるべきだろう。

 強いて言うなら、自分自身を投影していたのかもしれない。

 何の特技も才能も持たず、誰からも認められることなくただ漠然と生きてきた自分の冴えない姿を、生きることに意義を見出せずにいた主人公に重ね合わせていたかもしれない。

 しかし、彼が生まれ変わってからの姿――ありとあらゆる才能や環境に恵まれ、誰からも愛され誉めそやされ、絶対の将来を約束されたお姫様のような存在。その姿に現実のモデルがいないと言ってしまうと、それは嘘になる。

「もしかしてなんだけどさ。主人公のモデルって、あたしじゃない?」

「あ……あ……」

 さもあっさりと図星を突かれて、動揺するより先に混乱に陥ってしまう。頭に血がカーッとのぼって、何も考えられなくなる。

 視界がぐらぐらと揺れて、その場に倒れ伏してしまいそうになった。

「やっぱりそうか」

 泡を食ってどきまぎしている僕の様子を見て、伊勢原先輩は「はあ」とため息をついた。

 何? 何なのこの状況? なんで先輩はあの主人公のモデルが先輩だってわかったんだろう。

 いや、それを知ったところで、先輩はどうするつもりなんだろう。いったい何がしたいんだろう。

 ――もしかして、

「キミ、あたしのこと好きなの?」

「いっつもあたしで変な妄想してるんでしょう」

「キモチ悪いからやめてくれないかな、人を題材にした小説を書くのも」

「悪いけど、あたし彼氏いるから」

「それがここにいる平林勇太くん」

「泉とも仲良くさせてもらってるのよ」

 そんな苛烈な言葉が次々と脳内を駆け巡り、僕は思わず頭を抱えた。

 嫌だ。先輩からそんなことを言われたりしたら、僕はもう立ち直れない。

 たとえそれが真実だったとしても、こっちから告白する前にふられて遠ざけられるなんて、そんなみじめな話があってたまるもんか。

 でも……、そうでなければ先輩が勇太さんと一緒に来た理由がわからない。

「困ってるみたいじゃん」

 不意に、勇太さんが伊勢原先輩を咎めるように口を開いた。

「何の説明もされずにいきなりそんなことを訊かれる身にもなってやれよ。かわいそうだろ」

 ――あれ、もしかしてこの人、僕のことを庇ってくれてるのか。いったいどういうことなんだろう。

 伊勢原先輩はそれに対して「わかってるよ」とすねたように一言呟き、そして何を思ったか今度は僕に向けて小さく頭を下げてきたのだった。

 思いもよらず謝られて、僕はいっそう驚いて慌てふためく。

「なんて言うのかな。別に、そのことで相澤くんを責めようとか思ってるわけじゃないから。ただ……」

 また、伊勢原先輩は口ごもってしまった。

 その後にどんな言葉が続くのか、僕にはまったく想像がつかない。

 先輩は少し困ったような、悲しそうな顔をして泉と勇太さんを順繰りに見やり、それからまた戸惑ったように大きく息を吐いた。

「要領を得ないな」

 そこで、今度は泉が口を開いた。

「要領を得ないまま質問攻めにするのは間違ってる。そう思わないか、美優奈?」

「それは……そうだけど」

「自分から語る覚悟のない奴には、人にものを尋ねる資格はない。圭太を呼び出した時点で、おまえは覚悟を決めているべきだった。それができないなら、今すぐにでも謝って圭太を帰してやれ。違うか?」

「…………」

 なんか、重苦しい雰囲気だ。

 僕は、今自分の置かれている状況が――というより、伊勢原先輩の置かれている状況が理解できなかった。

 なんで伊勢原先輩は、泉たちからこんなに責められてるんだろう。

「そうだよね……ごめん。もうここまできちゃったんだし、はっきり言うね」

 伊勢原先輩はそう言うと、意を決したように、胸に手を当てて、大きく深呼吸をした。

 そして彼女はこう言った。

 

「相澤くんの書いたあの小説が、あまりにも――あたしの境遇に当てはまってたから」

 

「……へっ?」

 まさしく「へっ?」である。それ以外の感想が出てこなかった。

 境遇? 何のことだ? そりゃ先輩をモデルにして書いたわけだから、境遇が当てはまってるのはあたりまえだと思うけど――。

「そうじゃなくて……」

 伊勢原先輩は口ごもりながらもなお言葉を繋いだ。

「あたしも、同じなの。一度死んで、生まれ変わってここにいるの」

「な……え?」

 何を言っているのか全然わからない。

 生まれ変わり?

 そんなバカな。あれは僕が処女作のために考えたフィクションの設定であって、現実には起こり得ないことだ。

 冗談を言っているのだろうか。まさか伊勢原先輩は、平林兄弟と共謀して僕をたばかろうとしているのだろうか。

 そんなことをして何になるんだろう。いや、もしかして主犯は泉なのか。

 しかしそこにいる三人が三人とも暗い陰を顔に落としており、とてもふざけて面白がっているようには見えなかった。

「そういうことだ」

 腕を組んで瞑目していた泉が言う。どういうことだ。さっぱりわからない。

「おまえの書いた小説は、美優奈の経験してきたこととそっくりそのまま同じなんだよ」

「それってどういう……」

「話してやれよ」

 今度は伊勢原先輩に目を向ける泉。先輩は、小さく首肯した。

「あたし……いや、オレは、ちょうど十歳のとき、伊勢原美優奈になった」

「!?」

 いきなり男口調になった先輩の話し方に、僕は度肝を抜かれた。

 何してるんですか、そんなことしたら、せっかくのきれいな容姿が台なしですって!

「いや、実際、自分のことを『あたし』って言うのはもう慣れてるけどね。でも、まだ心の半分は男だと思ってるし、いつも勇太とか泉といるときはこの喋り方だから。……相澤くんは、どっちがいい?」

 どっちがいいかと聞かれましても、わけがわかりませんけど。

 そりゃあ、僕にとって伊勢原先輩は憧れの女性なわけで、今までどおりの自称を貫いてくれたほうが、違和感はなくて自然ですけれども。

「男……なんですか?」

 おそるおそる問いかけた言葉に、伊勢原先輩は深くうなずいて答える。

「前世は男だった。少なくとも、それは確か」

 なんてことだ。自分が好意を寄せている女性から、自分は女じゃない宣言を受けてしまった。

 いや、「女じゃない」とは言ってないか。先輩は「心の半分は男だと思ってる」と言った。

 ということは、裏を返せばもう半分は完全な女の子ってことで……、

 いや、半分だけしかないものを「完全」呼ばわりしていいものかどうかは考えどころだけれど。

「美優奈が生まれ変わったのは、小学四年生のときだ」

 勇太さんが、どこか昔を懐かしむような口調で、さっきの先輩の言葉を繰り返す。

「それまではおとなしいヤツだったんだがな、ある日を境に突然、性格が粗暴になったんだ。今みたいに丸くなったのは、高学年に上がってからだったよ。親の躾でそうなったんだ。――いや、もとに戻ったと言うべきかな」

「粗暴、ですか?」

「ああ。いきなり自分のこと『オレ』とか言い出すし、少しでも気に入らないヤツがいたら、すぐにけんかをふっかけにいってたよ。『なんだおまえ、文句あんのか?』とか言って」

「ええ……」

 僕はその話を、とても信じられないような気持ちで聞いていた。

 今の伊勢原先輩を見ていると、「粗暴」なんて、最も縁遠い言葉のような気がしたからだ。

「いや、実を言うと、オレはそのときのことをあんまりよく覚えてないんだよね」

 今度は伊勢原先輩が、恥ずかしそうにこめかみに指をあてながら言う。

「前世の記憶が、急速に薄れていったんだろうな」

 と、勇太さん。「それと一緒に、粗暴さも影をひそめていった」

 それにしても。ある日突然生まれ変わるって、そんなことが果たしてあり得るのだろうか。

 生まれたときから前世の記憶があるとか、そういう話ではなくて。

「ところで、その前世の記憶っていうのは、今も残っているんですか?」

「うん。断片的にだけど、今でも少し残ってるよ。――特に、死ぬ直前の記憶は鮮明に」

「……どんなのだったか、聞いてもいいですか?」

 おそるおそる尋ねた僕の質問に、伊勢原先輩は神妙な顔をしてうなずく。

「学校からの帰り道だったよ。学校はけっこう高台にあって、その下に家があるんだけどね。ちょうど坂を下りきって国道へ出たところで、車に撥ねられたんだ。どんな車だったかはわからないけど、ものすごい衝撃があって、体が宙を舞ったのを覚えてる。……そして、気がついたら、小学生の女の子になってた」

 伊勢原先輩は、その記憶を反芻するかのように、瞑目した。

「でも、それ以上に強く残っていたのが、神様とのやり取りだった」

「神様……?」

 何のことかわからずに、僕は首をひねる。

「相澤くんの小説に出てきた、龍の神様だよ」

 そう告げられて、はっと思い至った。

 そうだ。僕の書いた小説に出てきた――主人公に対して「理想的な人生に生まれ変わりたくはないか」と持ちかけてきた、あの神様。

 あれが、実際に先輩の前に現れた……?

「実際に龍の姿を見たわけじゃないけどね。真っ暗闇の死の世界で、こう聞かれたのはわかったよ。『人生をやり直したくはないか』と」

「……どう答えたんですか?」

「わかるでしょう。相澤くんの小説の主人公と、そっくりそのまま同じ答えを返したよ。『俺にはもう未練はない。俺のところに来るぐらいなら、もっと切実に生まれ変わりを希望しているヤツのところへ行ってやれ』って。そうしたら『よかろう、願いは聞き届けた』って」

 ――で、気がつくと生まれ変わっていたと。

 なんだそりゃ。まるっきり僕の書いた小説のままじゃないか。

「でも、それって生まれ変わりなんですかね」

 僕は、さっきから抱いていた素朴な疑問を口にする。

「気がついたときには、いきなり小学四年生だったんですよね? それって、生まれ変わりっていうか、人格の憑依なんじゃないですか? だって、それまではずっと普通に伊勢原美優奈さんとして生きていたんでしょう?」

「いや、たぶん生まれ変わりだと思うよ」

 意外なことに、伊勢原先輩はあっさり断言した。

「日付けが……ね。オレの死んだ日から、ちょうど十年間飛んでたんだ。驚いたよ。浦島太郎にでもなったような気分だった」

 先輩たちはさっき、生まれ変わったのは十歳のときだったと話した。

 つまり、先輩の前世だった人が死んだちょうどその年に、伊勢原先輩は生まれたのだ。

 ということは、生まれたときから先輩の前世だった人はずっと先輩の中にいて、十歳になったある日突然、その記憶ないし人格が甦ってきたってことか。

 なんだろう、すごく……信じられないような話だけど。

「だから、相澤くんの小説を見たときは、驚いたってもんじゃなかった。もしかして、きみがあのときの神様で、何らかの意図があって自分に近づいてきたんじゃないかって、そんなふうに疑ったくらい」

「ちっ、違います。僕はそんなんじゃ……」

 敬愛する先輩から疑いや敵意を投げかけられるなんて、僕にとってはたまったもんじゃない。

 慌ててかぶりを振ると、先輩は優しく微笑んでうなずいた。

「わかってるよ。もし仮にきみがそうだったとして、そんな露骨な近づき方をしておきながら、いざ問い詰めたときにシラを切るなんてマネはしないはずだから。きっとただの偶然だったんだろうね」

 しかし、偶然にしては、あまりにも自分の経験した摩訶不思議な体験と僕の小説は似通っている。

 だからこそ先輩は、腹を割って、僕に話す決心をしたのだろう。

 今まで平林兄弟にしか話したことのなかった秘密を僕に打ち明け、面と向き合う道を選んだんだ。

 自分の書いた作品がきっかけで、先輩に興味を持ってもらえることは、僕にとっては願ってもない幸運だ。

 だけど、あまりにも話が突拍子もなさすぎて、何が何だか理解できない。

 いったい僕が先輩にしてあげられることって、何なんだろう。先輩は、僕の書いたこの作品を通して、僕に何を求めようとしているのだろう。

「オレは別に、現世に甦らせてくれたことについて、恨みを抱いてるわけじゃないよ。むしろ感謝してる。あたりまえだよね。なにしろ将来の約束された、何一つ不自由のない、幸福な人生を与えられたんだから。これに不満を持つほうが罰当たりってもんだよ。ただ……」

 そこで先輩は、きれいな顔にまったく似合わないような、暗い陰を落としてうつむいた。

「一つだけ気がかりなことがあるんだ。未練とかじゃないんだけど、前世のことで、一つだけどうしても知っておきたいことが」

「どんなことですか?」

「妹がいたんだ」

 伊勢原先輩は静かな声で言った。

「オレが死んだ当時三歳だったから、今は二十歳くらいなのかな。オレによく懐いてくれてて、家に帰るといつも一緒に遊んであげてた。どんなふうに成長してるのか、この目で見てみたい。……いや、違うな。兄である自分が死んでしまったことで、あの子に何か悪い影響があったんじゃないかって、心配してるんだと思う。自意識過剰なのかな」

「いえ、それは……当然の感情だと思います」

 妹を――兄弟姉妹を大切に思い、心配して憂う気持ちは、誰にとってもあたりまえのもののはずだ。それを否定することなんて、僕にはできやしない。

「だから、別にいい思い出があるとかじゃないんだけどさ。オレが前世で住んでいた町に行ってみたいんだ。そこで妹と合って、話がしてみたい。オレのことを――兄のことを、どう思っていたか。ただそれだけを、聞いてみたい」

「妹さんの名前は、覚えていないんですか?」

 すると先輩は、肩を落として力なくかぶりを振った。

「覚えてたら、相澤くんにもこんな話をしなかったと思う。残念ながら、前世の自分の名前すら覚えてないよ。前世のことについては、ほんのわずかな断片的な記憶しか残ってないんだ。それも、ものすごく曖昧な、不安定なものしか」

「だから美優奈は本を読まないんだ」

 と、泉が腕組をしたまま、横から口を挟んだ。

「その曖昧な記憶と、フィクションの世界とを綯い交ぜにしたくないから。前世の記憶を、ただの幻想にしてしまいたくないから」

「そうだったん……ですか」

「うん。だからオレは教科書意以外、本は一切読まない。漫画も読まないし、映画も観ない。だから文芸部に入ってくれって言われたときは、どうしようかと思ったよ。結局、部長にまでさせられたけどね。けど、そのおかげできみの作品に出会えたことは、幸運だった」

「僕の作品に……」

「あの作品の内容は、とてもオレの体験と無関係だとは思えない。これは直感みたいなものなんだけどさ、きみはもしかしたら、無意識のうちに、あの作品を通して、オレのことを導いてくれるんじゃないかって、そんなふうに思ったんだ」

「そんな……僕の書いたものなんて……」

「だからさ、相澤くん」

 自信を失くして気落ちする僕の肩に、伊勢原先輩は優しく手を触れる。

 彼女は最後にこう言った。

「あの小説、がんばって最後まで書き上げてよ。そして、できたらハッピーエンドにして欲しい。登場人物の誰もが幸せになるような、そんな素敵な終わり方に」

 それに対して僕は「はい」とも「いいえ」とも言えずに、悄然として、ただ顔をうつむけることしかできなかった。

 

                             ☆

 

 僕はその日も家に帰ってから、創作用ノートを開いて、机と向き合っていた。

 伊勢原先輩は、僕にとても大切な話をしてくれた。僕の書きはじめたあの作品が、自分のこれからを導いてくれることになるかもしれないと。

 そのことは、僕にとっては至上の栄誉であると同時に、反面、大きな重圧となってのしかかってくるのだった。

 僕があの話を聞いたことで、どうしても作中の主人公と先輩を重ねて考えてしまい、変に気負って書いていくせいで、

 本来の先輩の様子からかけ離れてしまうことだって、十分ありえるんじゃないか。

 先輩は、そこまで考えたうえで、あの話を僕にして聞かせたのだろうか。もしもこのまま僕が書き続けていって、主人公の様子が今の先輩とは全然違うものになってしまったら、やはりあれはただの偶然だとして、興味を失ってしまうのだろうか。僕は見捨てられてしまうのだろうか。

 でも、もし逆に僕がこのまま書き進めていって、それがそっくりそのまま先輩の体験どおりになったとしたら――、

 よりいっそう僕の作品への興味を深めてくれるかもしれない。前向きに考えるとね。

 いずれにしても、僕は書かなければならない。自分の感性を信じて、物語を完成させなければならない。

 先輩にああまでして頼まれてしまった以上、もはや完結させないという選択肢はなくなった。

 中途半端なところで投げ出すわけにはいかないんだ。

 僕はそう思い立って、ノートの上に鉛筆を走らせた。

 意外なことに、すらすらと筆は進んでくれた。何しろ、転生してからしばらくは、小学生としての普通の日常が続くんだから。

 それはまるで日記でも書いているかのような感覚で、さしあたって行き詰るようなこともなかった。

 

                             ☆

 

「――うん、よく書けてると思うよ」

 翌日、部活の終わりに、昨晩書いた分の小説を伊勢原先輩に手渡して見せると、先輩はにっこりと微笑んでうなずきながら、そう言ってくれた。

 僕は、ほっとして胸を撫で下ろす。

「あたしが小学生のころ感じてたことを、そのまま書いてくれたみたい。心情描写が多いから、すごくよく感情移入できたよ」

 心情描写を多くしたのは、想像力の乏しい僕には、先輩の小学生時代のことなんか、とても思い描けなかったからに他ならない。

「情景描写が苦手なら、心情描写でお茶を濁しましょう」というのは、例の執筆入門書からの入れ知恵だ。

「あと、この主人公の『澪奈(みおな)』っていう名前、あたしのことを意識して考えてくれたんだね。ありがとう」

「あ、いえ……そんな」

 みゆな、と、みおな。

 誰が見ても明らかなその類似性を、面と向かって指摘されると、妙に恥ずかしくなってしまう。

 先輩は、いたずらっぽく口もとを緩めて笑った。

 伊勢原先輩の重大な秘密を知ってしまってから一日。僕は彼女に、なるべく女性らしい言葉遣いをしてもらうようお願いしていた。

 なぜなら、中学生のころ最初に先輩を見たときの印象を、どうしても壊したくなかったからだ。自分本位な考え方だとは思う。もちろん、それが先輩にってストレスになるなら、無理にとは言いません、とは伝えたけれど、伊勢原先輩はそのとき、笑いながらこう答えてくれた。

「無理なんてないよ。むしろこっちのほうが自然なくらい。小学校のころからずっとこの喋り方だもん。泉たちの前では、昔の名残でつい男言葉を使っちゃってるだけ」

 それから先輩は、人前とか関係なく僕の前では女言葉を使うようになった。

 もちろん一人称は、前と変わらず「あたし」を使ってくれている。

 そのほうが違和感なくて絶対いいですって。

「ところで先輩――いえ、部長。一つお願いがあるんですけど」と、僕は先輩に切り出した。

「普通に名前で呼んでくれていいよ。なあに?」

「先輩の小学校のころのことを、少しでいいので教えてもらえませんか。話の続きを書いていくにあたって、どうしても僕の想像力では限界があるんです」

 正直なところを言うと、この小説の執筆を口実に、伊勢原先輩とお喋りする機会が増やせるのではないかという、ささやかな下心もあった。

 しかし、伊勢原先輩は、優しく微笑みながらも、その申し入れを拒絶した。

「それはダメ。これはあくまで相澤くんの創作であって、あたしのドキュメンタリーじゃないんだから。フィクションなのに現実にすり寄せてちゃ、面白くないでしょ?」

「え、でも……」

「大丈夫。その創作の中に、あたしにとって重要なことが、もしかしたら浮かび出てくるかもしれないって、そんなふうに軽く考えてるだけだから。相澤くんは、あたしのことなんか気にせずに、自由に書いてくれていいんだよ。もし現実のあたしと、この『澪奈ちゃん』の境遇に違いが生じちゃっても、それはそれで全然かまわないから」

「そ、それならせめて、先輩が前世でどんなところに住んでいたかを教えてください!」

 実際、それは小説を書き進めていくうえで、どうしても知っておきたいことの一つだった。

 主人公の最終目標は、前世で住んでいた場所を探し求めて、妹と再会すること。

 そう決めたからには、頭の中に残された断片的な記憶を頼りにするしか、他に方法はないのだ。

 そして、その記憶を僕が勝手に捏造することは許されない。

 しかし先輩は、悩ましげに頭を抱えて考える。

「うーん、そう言われてもなあ。本当に記憶が曖昧で、正確に覚えてることなんて、ほとんどないからなあ」

「漠然としたものでもいいんです。抽象的なこととか。たとえば、都会だったか田舎だったかとか、地形は坂が多いとか平坦だとか」

「そう言われてみれば、坂が多かったような気がするなあ。学校がけっこう山の上にあって、帰りには遠くのほうに海が見えてたから。

街の規模は――大都会っていうほどでもないけど、農村とかではなかったかな。それなりに建物が多くて、普通の地方都市って感じだったよ」

 ――坂がちな、海沿いの地方都市。そして、高台に高校。

 なにげにものすごく重要な情報が得られた気がするぞ、これ。

 この情報をもとに調べていけば、先輩が前世で住んでいた場所の候補地を、ある程度は絞れるんじゃないだろうか。

「でも、あたしの持ってる前世の記憶って、本当におぼろげなものでしかないから、あんまりアテにしないでね」

 伊勢原先輩は、どこか申し訳なさそうに眉をひそめてそう言った。

「それにしても、すごいね、相澤くん。処女作でここまで書けるなんて、やっぱり文章を書く才能あるんじゃないかな。あたしはこういうの書けないから、羨ましいな。がんばって完成させてね」

「は、はい。ありがとうございます」

 返されたノートを受け取りながら、自信なさげに生返事をする僕。

 それでも先輩は、最後にニコッと明るい笑顔になって、僕にこう言ってくれたのだった。

「完成したら、一番最初にあたしに読ませてね。これは約束、絶対だからね!」

 その笑顔を見て僕は、足もとが宙に浮かんでいるような、不思議な気分に陥ってしまった。

 

                                ☆

 

 なんだかふわふわした夢心地のまま、鞄をとりに自分の席へ戻ろうとすると、にゅっといきなり若岡さんが目の前に現れて、僕の進路に立ちふさがった。

「う……うわっ、どうしたの」

「うーむ、怪しいですね」

 アゴに手を当てながら、そんなことを言う。

「相澤どのって、美優奈さまとそんなに仲良くお喋りできるほどの関係でしたっけ?」

「どの? ……美優奈さま!?」

 その敬称はちょっと、どうなんだろうって思うけど。

 なんだか絡むと面倒臭そうなので、適当にあしらっておくことにした。

「中学校が同じだったからさ。それに、そこにいる泉のお兄さんと同級生だから、繋がりがあるっていうか」

「それだと、ますますおかしいです。アナタが美優奈さまと一対一で、泉どのの仲介なくして仲良くする道理が通らないじゃないですか」

「そうかな!?」

 若岡さんはけっこう疑い深い性格のようだ。ここで嘘をついてもたぶん引き下がらないと思い、僕は取り繕うのをやめて正直に話すことにした。もちろん伊勢原先輩の秘密は言わずに。

「知ってるでしょ。実は僕、もう自分で小説を書きはじめてるんだよ。今のは、それを部長に見てもらって、意見を貰ってたんだ」

「なんと! 相澤どの、すでに小説を書きはじめていると?」

「うん」僕がうなずくと、

「そうか、その手がありましたか」

 俄然、目を輝かせる若岡さん。「近頃、美優奈さまが冷たいっていうか、ツンツンしてるっていうか、心なしか距離をとられているように感じていたのですが、わたしも文芸部の一員として小説を書けば、正当な理由から美優奈さまにお近づきになれるということですね!」

 距離とられてたのか。そりゃまあ、あれだけベタベタくっ付かれたら、僕だってそうしたくなるな。

 しかし、小説を書くとは言っても、若岡さんが書きたいのって、確か自分と伊勢原先輩とのラブロマンスだとか言ってなかったか。

 そんなの書いて、目の前で本人に読んでもらうのか。余計に距離を置かれそうな気がしなくもないんだけど。

「よい情報をありがとうございました! 早速、家に帰って、取りかかってみます。では!」

 若岡さんは、そう言うと、肩掛けカバンを担いで、シュタッと、ダッシュで文芸部室を出ていってしまった。

 ――掴めねえ。何なんだ、あのキャラ。

「おーい、圭太。用事は済んだか? 俺たちも帰るぞ」

 泉はなんだか間延びした声で僕に呼びかける。

こいつはえらくマイペースな奴だな。こういう飄々とした態度が、今はなんだか心地いいような気がする。

「今いくよ」

 そう返事をして、僕も泉の後に続いて教室を出た。

​初稿執筆:2016年

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